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アドウォルトン・ムーアの戦い(Adwalton Moor, The Battle of)は、清教徒革命の内戦における国王軍と議会軍の戦闘である。ブラッドフォードに駐屯していた議会軍司令官のフェアファクスは、ニューカッスル公の率いる国王軍が迫ってきているとの報せを受けた。ブラッドフォードでは包囲されると判断したフェアファックスは、迎え撃つべく出陣した。両軍はアドウォルトンの荒野で戦闘状態に入った。 戦況は当初、議会軍の優位に進み、ニューカッスル公は退却を考えるまでに追い込まれていた。最後に突撃をかけて効果がなければ退却を、と考えていたその突撃が議会軍左翼を壊滅させ、これに中央・右翼も動揺して議会軍は潰走状態となった。 この戦いで北部戦線における国王軍の優位は決定的となった。いっぽう議会軍主力の民兵は、その脆さを露呈させた。これによって議会軍は軍編成の改革が急務であると認識し始めた。 エッジヒルの戦い(Edge Hill, Battle of)は、イングランド内戦における最初の戦闘である。戦死者は両軍あわせて4000人といわれる。議会軍の本拠地ロンドンに向けて行軍する国王軍を、議会軍が迎え撃った。当初カンバーランド公ルパートの指揮する騎兵隊が議会軍の両翼を圧迫し優位に立ったが、深追いしすぎたため歩兵隊が議会軍に攻撃された。両軍とも態勢を立て直してのにらみ合いになり、そのまま日が没した。双方とも脱走兵の続出に窮し、翌朝、兵を退いた。 その後しばらく、練度にまさる国王軍の優勢はつづき、小規模な戦いで勝ち続けていった。一方、議会軍の弱体さを知ったオリヴァー・クロムウェルは、鉄騎隊の編成を急いだ。 ニューバーンの戦い(Newburn, The Battle of)は、清教徒革命の主教戦争におけるほぼ唯一の戦闘である。8月20日に盟約軍は国境を越えて進んできたが、イングランドには軍を集めるだけの余力がなく、アイルランドからかき集めたわずかの手勢を送り込んだにとどまった。両軍はタイン川をはさんで対峙していたが、盟約軍の別動隊がイングランド軍に襲いかかり、イングランド軍は次々に川に追い落とされていった。勢いに乗ったスコットランド盟約軍はニューカッスル・アポン・タインを占領し、さらに進撃をつづける態勢をみせた。 国王チャールズ1世は先物取引 貢物を持って盟約軍に赴き、和平を乞うた。こうしてリポン条約が締結され、ノーサンバーランドおよびダラムがスコットランド側に割譲された。 ネイズビーの戦い(Naseby, The Battle of)は、イングランド内戦の帰趨を決定づけた戦闘である。国王軍と議会軍の戦闘である。この戦いによって形勢は議会軍に大きく傾いた。 1645年の初め、国王軍は強化されつつある議会軍、とくにニューモデル軍に脅威を感じてきていた。いまだ編成途上であったニューモデル軍を早めに叩く機会をうかがっていた。その一方で、マーストン・ムーアの戦いによって失われていたイングランド北部を取り戻し、スコットランドのモントローズ侯の助力をえることも期待していた。国王軍は北方に戦力をさいて平定に赴き、主力は数を減らしていた。 一方、議会軍は国王軍本拠地のオックスフォード包囲をフェアファクスに命じた。当初国王軍は、北部平定のためには都合が良いとFX 初心者 にしなかったが、5月になってオックスフォードが陥落しそうだという報が伝わると、5月31日、議会軍の気をそらすために議会軍の砦(レスター)を攻撃した。さらにフェアファクスを叩くため、チャールズ1世とカンバーランド公ルパートはオックスフォードに軍を向けた。 イングランド議会はレスター陥落に動揺し、国王軍主力の撃退をフェアファクスに命じた。6月5日フェアファクスは北に軍を向け、ダヴェントリーで国王軍の先遣隊と衝突した。 議会軍は左翼にヘンリー・アイアトン少将、先物取引 にオリヴァー・クロムウェル中将が布陣した。午前10時、国王軍が一斉に前進を始めた。右翼のクロムウェルは対抗するために、ダストの丘の上まで上がって剣戟を交えた。左翼ではルパートの激しい突撃にアイアトンが堪えきれず、潰走を始めた。アイアトンはほどなく捕虜となった。敗走を続ける議会軍左翼部隊にルパートは追撃を続け、戦場から離れてしまった。 中央ではアストレーとスキッポンが銃撃戦を始め、その後長槍(パイク)の応酬が行われた。そのなかで議会軍中央のフィリップ・スキッポンが銃撃に遭って負傷し、議会軍はじりじりと後退し始めた。予備隊にいたフェアファクスは、スキッポンの代わりに戦線を維持せざるを得なかった。のちに「プライドのパージ」で知られることとなるプライド大佐らの働きで、アストレーの攻勢に対処できた。 右翼のクロムウェル鉄騎隊は、激しい攻撃によってじりじりとランデールを押し返してきていた。クロムウェルは国王本隊に迫りつつあり、チャールズは親衛隊を割いて鉄騎隊を追い払おうとした。ところがこの命令が誤って伝わり、親衛隊は後ろにさがってしまった。クロムウェルはこの隙を見逃さず、チャールズの歩兵連隊を壊滅させた。いっぽう左翼でもアイアトンの部隊の一部が、空になった国王軍右翼を攻め立てていた。国王軍は左右から挟撃される形となってしまった。遠く離れてしまったルパートが戻ってきたときには、国王軍は総崩れとなっていた。 ネイズビーの戦いによって、国王軍は壊滅的な損害を被った。議会派はこの勝利をイングランド中に宣伝し、勝利を印象づけた。兵糧や大砲は議会軍に接収され、国王軍の再建は事実上不可能となった。内戦はさらに1年続いたが、国王軍は劣勢を逆転することはできず、チャールズはスコットランドに亡命を余儀なくされた。 マーストン・ムーアの戦い(The Battle of Marston Moor)は、清教徒革命の内戦における国王軍と議会軍の戦闘である。アドウォルトン・ムーアの戦い以来、イングランド北部は国王軍がほぼ掌握していたが、この戦闘で議会軍の有利に一挙に傾いた。 議会軍はスコットランド盟約派と日経225 をむすぶことに成功し、盟約軍に出兵を依頼した。これを受けて盟約軍はイングランド北部に侵攻してきた。国王軍のニューカッスル公ウィリアム・キャヴェンディッシュはヨークまで軍を退き、態勢の立て直しをはかった。議会軍はフェアファクスの軍のみならず、マンチェスター伯の東部連合軍やリーヴン伯率いるスコットランド盟約軍を加え、ヨークを包囲する構えを見せた。チャールズ1世は甥のカンバーランド公ルパートを救援にさし向け、ヨークの孤立はまぬがれた。両軍はヨーク近郊のマーストン・ムーアで対峙した。 左翼はクロムウェル率いる東部連合軍および鉄騎隊、リーヴン伯のスコットランド盟約軍で構成された。戦闘はリーヴン伯の突撃によって始まった。雨の中国王軍右翼に突撃をかけて驚かせはしたが、国王軍の反撃にあい崩れつつあった。そこにクロムウェルが攻め込み、一撃で国王軍右翼を粉砕してしまった。国王軍右翼の指揮官バイロン男爵は軍を再結集させて反撃を試みたが、敗勢を覆すことはできなかった。 これをみて、中央に布陣していたルパートが自らの手勢とバイロン男爵軍の敗残兵をあわせ、クロムウェルの部隊に攻撃した。クロムウェルはこれも撃退し、ルパートはからくも捕虜とならずに戦場を脱した。フェアファクスら他の議会軍はクロムウェルの部隊と呼吸をあわせ、国王軍をほぼ完璧に打ち破った。 この戦いによって、イングランド北部で議会軍がある程度有利な情勢になった。またクロムウェルは功績をほぼ独占し、おおいに名を上げた。しかし議会軍全体はまだ弱く、全面攻勢をかけるほどの力はなかった。